高1の秋、通信制の学校に行きたいと本気で考えた。

 

 

毎日毎日僕らは鉄板の上で焼かれて……いたわけではないけれども、毎日毎日書類を作成して終わらないと主任兼指導教員に怒られ、教室に持って帰ってグループのメンバーに嫌な顔をされながら指示を出し、それの繰り返し。

夏休み明けに行われる文化祭のポスター作成もそれなりにしんどかったけれど、そんなのとっくの昔、みたいな顔で次々にやることと指導教員の叱責が増えていく。

研究計画書を3か月単位で書かされても、結局そんなの企画が通らなくてただの紙切れに。

当時の研究のためにたくさんの場所に電話を掛けたって、結局「こんなところに聞いてどうする」と一蹴。

うちのコースの研究ってグループ研究で、自分含め4人でやってたんですけど、1人はやる気ゼロで主任にも口答えするようなやつ、もう1人はやる気はあるんだけど話が通じづらくて指示しても結局こちらの手直しが必要になるようなことをやってくるやつ。

お分かりですか、当時は自分ともう1人の子でほとんどの作業をやってました。

 

でも、当方は学生なので、当然授業やら課外がぶち込まれてくる。ちなみに部活もやっていたので、作品作成をしなければいけなかった。連日の終わらぬ作業で睡眠時間がアホみたいに減っていた16歳の私は、授業中眠くて仕方なかった。だんだん数学の内容が理解できなくなっていく。恐ろしい。

今でこそ睡眠時間3‐4時間くらいで次の日もイケるけど、なんせ規則正しい生活を強いられていた中学生だった人間は、1年もたっていないのに短時間で疲労回復ができるはずもなく。

とにかく時間がなかった。

だいたい19時過ぎに家に帰って、ごはん、お風呂、そして授業の課題をやったり書類を作ったりレポートを書いて、グループの人の作業が終わるのを待って手直しして、ということをしてたら2時とか3時なんですよ。恐ろしい。

 

何もできなかった。

このままじゃ、本気でどこの大学も行けないと思った。

 

主任のパワハラに近いような言動、助けてくれない担任、「みあんのところは主任が指導教員だから審査1回でいいじゃん、楽だよね」と言ってくる他グループのリーダー。

 

すべてが、もうしんどかった。

 

大学に行きたい、目標を失いたくない。でもここで生きていきたくない。

そう考えた私は、通信制の高校に行きたいと思い始めた。

 

本気で、調べた。学費、どこにどんな学校があるのか、大学受験で推薦は受けられるのか、何年で卒業できるのか、今の学校の単位はカウントされるのか。

 

 

でも結局、私は言い出さなかった。

 

「そんなんで嫌だって言ってたら、社会に出たときにやっていけないよ」

「社会勉強だって思えばいいんじゃない?」

そんな親の言葉を聞いて、誰が通信制の高校に転校したいなんて言い出せる?

 

お前らは知らないだろ。

書類を何度も書き直しさせられるたびに怒られて呆れられて人格否定される高校1年の気持ちも。

指導教員のOKサインが出ないと言うたびに私に愚痴ってくるグループメンバーの視線の冷たさも。

毎朝毎朝布団の中で死にたい気持ちを抱えることも、比喩ではない傷跡を残していることも。

 

私は結局、変えられたかもしれない未来から逃げた。

誰かに訴えて、本気で逃げる程度のしんどさじゃなかったんだろう。

そうやって片づけた。昔からお片づけは得意だった。

 

 

現在高3の冬、結局入学した高校を卒業する。